自分が体験していないものを提供する時の視点

 本を読んで、自身が体験していないアクティビティを使う場合に気をつけたいこと、あれこれ。

①アクティビティそのものが目的になり、参加者のニーズや課題が蔑ろにされないようにする。

例:仲間づくり活動を行おうとしたが、そこに参加者のニーズはなく、むしろ仲間割れ活動になってしまった。


②アクティビティの結果だけを重視する。

(勝ち負けなどのルールに支配された活動)

→意味付け、振り返りなどの教育的意味がないと、勝った負け思考になりがち。トラブルのもとにも。


③活動レベルが参加者の年齢、発達段階、グループの発達段階や感情レベルに合っていない。


④活動のタイミングが合わない。

(長くやりすぎて逆にモチベーションを下げてしまう)


⑤活動がその場かぎりで終わってしまい、学びにつながらない。

(体験あって学びなし状態)


⑥メンバーが活動への集中を欠いているのに続ける。


⑦やり方や課題に対して、ファシリテーターが過剰に介入しすぎる。


⑧何をしているのか、何のためにしているのか、参加者が意味を理解せず活動に参加している。


ファシリテーターが、活動中に何が起きているのかプロセスを意識せずにアクティビティ行うことで、グループメンバーの課題を認識できない。

→どんなニーズがあるのか、どんな課題があるのか、その課題を課題として認知しているのか?など。


 やはり体験学習なので、自らが体験したものを自分なりに咀嚼して提供するスタイルがいいような気がします。


 実際にやる前に、練習の場があるとなお安心安全に本番を迎えられそうですが、アクティビティに特化したファシリテーターレーニングを受けられる場が少ないのも現状です。

 

 

 

 

 

 

アクティビティの材料はそこかしこに

なんじゃもんじゃ編〜

 本や自らが体験した既存のアクティビティをそのまま提供するスタイルももちろんありですが、アクティビティを自分なりにデザインする視点があると、様々応用できます。


 ただ、どんな時でもまずは目的が大事です。そのうえで、遊びがもともと持っている構造を利用してアレンジをします。

例えば市販のカードゲームに「なんじゃもんじゃ」という物があります。


 山からカードをめくり、面白おかしい名前をつけ、カードをめくるたびにその名前を早く言った人の勝ち、というルール。


この名前をつける、という構造を使い、アレンジ。

【ルール】
①2グループに分かれてやります。

②それぞれのグループに5枚ずつ、同じカードを配ります。

③それぞれのグループで5枚のカードに名前をつけます。

④片方のグループが一枚だけ、カードを見せずに名前だけ紹介します。

⑤もう一方のグループは、手元にあるカードの中からどのカードにその名前をつけたか想像して、答えを予想し、発表します。

⑥これをグループ交互に5枚分行います。

 

 基本の遊び方に比べ、人とのかかわりがより生まれます。

 また、観察や推測、話し合いの中での合意形成など、様々なソーシャルスキルが体験できます。


 もとのアクティビティをサンプルに、アクティビティにアレンジを加える視点を持つと、様々な場合にアクティビティが使えるようになります。それはやがて例えば学校だと、教科教育の中にアクティビティ要素をどう取り入れるか、という視点にもつながります。

みんなという幻想

 アクティビティを考える際には、みんなが同じように楽しむ、楽しんでいるはあり得ない、という前提に立つことが大事です。


 その場で何を楽しいと感じるは人それぞれ。

ファシリテーターはその比率をあげることは出来ますが、当然100%はないので、逆に楽しめていない雰囲気の人がいたとしたら、それをどうアセスメントするかが大事です。


・目的にあっていたのか?

・心と身体の準備はできていたのか?

・そうした反応の背景は?

などの視点に立って。


 それぞれのチャレンジでその場にかかわる、そのかかわりでオッケーが出せる関係性・場だと居心地がよいなあと思います。

体験から失敗オッケーを学ぶ

 アクティビティを提供する際にまず考えたいのは、あえて失敗を誘発するようなものを行うということ。

 ワークショップの初めの方に漂う参加者の不安感を、アクティビティを通しておこるエラー、それを笑いで包み込むイメージです。

 


 なので、アクティビティのイントロダクションで、ファシリテーターがあれこれ手回ししすぎると、失敗してはダメな雰囲気をつくってしまいます。


 エラーオッケーの安心な環境を、体験を通して認知してもらいます。

「間違えてもいいですよ」などの声がけによる認知アプローチだけで人の認知を変えるのは難しいです。

 


 大事なのは、アクティビティを通して何を学んで欲しいか。

例:

失敗しないようにすること?

多少の失敗を「あはは、おほほ」と笑い飛ばせるマインド?

失敗を過剰に恐れない態度?

失敗を責めない関係?

 

何が起こるか分からないところに楽しみがあり、エラーオッケーの環境をファシリテーターが整えることで、そこに安心安全の学びの環境が整ってきます。

また、エラーを学びの機会につなげることが、ファシリテーターには求められます。

バウンダリーをつくる

 グループ活動中に、参加者の身体的安全を作り出すことはファシリテーターの必須スキルです。


 ファシリテーターは、アクティビティを行う上で、身体面・感情面の両面にバウンダリー(範囲)を意識して行います。

 特に身体面のバウンダリー(例:鬼ごっこ系)は、効率よく安全に動き回れるフィールドの大きさを設定(限定)する必要があります。


 アクティビティはPLAY要素が強いので、基本自由さがありますが、その自由さは、実はファシリテーターの安全が確保できる範囲内での自由さなのです。


 範囲を決めることは、そこにいる全員が身体的能力を過剰に意識せずに遊べることにもつながります(範囲のないひたすら走りまくる鬼ごっこだと、足が速い子は楽しめるけど、そうではない子はすぐにつかまってしまい、楽しくない、やりたくないにつながってしまう傾向)。


活動に楽しさを作り出す観点からも、バウンダリーが大事になってきます。

 

身体的安全への配慮が、やがて心理的な配慮へともつながっていきます。

 

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内発的動機付けとアイスブレイク

〜intrinsic motivationがないとアイスブレイクは起きない〜

 

ワークショップの参加者は時間もお金もかけて学ぼうという意志のある方々がほとんどです。

そうしたワークショップで学んだことを実際の現場でやってみると..。


あれ?こんなはずじゃ!となることがあります。


その理由が、タイトルにある言葉です。


例えば、学校のクラスメイトは、もともと寄せ集まった人たちです。

自発的に学びたいとワークショップに参加するような人たちのような熱量はみんながみんなありません。

なので、そこまでのモチベーションはむしろないと捉え、その前提のもとにアクティビティを展開する必要があります。

そのような人達でも思わずやりたくなるようなものを。


繰り返し楽しい体験をすることで徐々にマインドシフトがおこるよう、ファシリテーターはアクティビティを設計し、参加者を唆していきます。

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公園での遊びで思うこと。

続、公園での話。

 

公園で遊んでいると、子ども同士気になった相手がいると、少しの牽制(数秒の時もあります笑)を経て、一緒に遊んだりする光景が見られます。

ただし、近くに親がいるとあまりない涙

 

これはコロナ前から感じていることです。

親が、知らない子とは出来るだけかかわらせないよう、「すみません」などの声がけや、「行くよ」と言って、手を引いてその場から去ったりします。


子供がその場で遊びたかったとしても。


人とどう関係性を築いていくか、体験的に学べる貴重な機会を親が奪っているのでは?と思ってしまいます。


その子の思い<遊んでいて何か迷惑をかけてしまい、相手方の親の反応が怖い


という心理がはたらいているのでしょうか。


確かにあり得ることですが、そこは子どもを信じたいですし、お互い様の精神でいきたいなあと思い、我が家はやりたいようにやらせています。


ここしばらく頭の中にある「楽しさって?」にもつながりますが、誰かと一緒に遊ぶ共有体験や、知らない人と遊ぶ未知体験が楽しさだったりするのかな、とも思うので。


コロナが落ち着いてきて、人とのかかわりが増えていく今後、いろんな人と遊べる時間、空間、関係がそこかしこで見られるといいな、と思います。

 

#ファシリテーション 

#子育て