読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マニュアルにはない面白さ

アクティビティを使ったワークショップは、こうすれば上手くいく!というマニュアルがあればいいけどない涙

 

プログラムデザイン段階ではモチロン様々な計画を立てますが、実際その通りにやることはまずありません。

実際のプログラムになると、むしろ直感や経験からくる読みなどが大事になってきたりします。

「なぜ今その活動を選んだのですか?」

 

と聞かれた時、上手く言語化できればいいのですが、「う〜ん、そんな気がしたんだよね」と答えてしまうこともあります(笑)

そこが難しさでもありますが、同時に面白さでもあります。

「今ここ」で起こる予測不可能なことが起こす学びを。

 

これに対し、マニュアルティックなワークショップは、決められた枠の中で順番通りに進める安心感があります。(ただし、参加者の状態を見て様々脱マニュアル的に調整しているところは当然あるとは思います)

 

アクティビティを中心としたワークショップのファシリテーターが難しいと思われる理由は上記に書いたように、

・言語化が難しい

・経験を積まないとなかなか場が成立しない、故に取り組むのに躊躇する

・今自分がどれだけ力がついたかが見えにくい

 ・成果や日常化が見えにくい

などが考えられます。

 

言語化すること、経験できる場を増やすことなどをして、この難しくも楽しいWSを進めるファシリテーター仲間を増やしたいと思っています。

 

 

 

 

アイスブレイク雑感②

アイスブレイクで何をときほぐすか。

 

ファシリテーター自身の気持ち

・参加者の気持ち

ファシリテーターと参加者の関係性

・参加者同士の関係性

だそうです。

 

ワークショップの目的や内容によって、上記の比率が変わっていくのだと思います。

 

ポイントは”ファシリテーター自身の気持ち”も含まれているところ。

人前に出て何かをするわけですから、緊張はあると思います。

ただし、矢印の向きが自分になりすぎないよう(自分のためのアイスブレイクにならないよう)自分を客観視できるくらいの気持ちの余裕は持ちたいところです。

 

 また、アイスブレイクの要素は
・まずは口を開けること(話すこと)
・お互いの簡単な自己紹介/名前を知る
・場に馴染むこと、WSという場を知る
・学びの雰囲気、規範づくり(必要な緊張感を残す)
・笑いやユーモア
・プログラムへの期待感を高めたり、プログラムの核心につなげる
・”いまここ”で起きたことを扱う
などが考えられます。

WSはいかに参加者主体の場をつくっていくかが肝なので、ファシリテーターはfoldするポイントを押さえながら、上記のことを参加者と一緒につくっていくことを心掛けます。

プログラムの入り口となるアイスブレイクは、その後の本プログラムに参加者が心配なく安心できるよう進めていきます。

せっかくよいプログラムであっても、最初のアイスブレイクでつまずくと、その後に挽回の時間が必要になり、本プログラムにも影響してきてしまいます。

たかがアイスブレイク、されどアイスブレイク。
場合によっては数分〜数十分の時間ですが、WSの正否に大きな影響を及ぼす活動だと思っています。

 

 

 

 

ファシリテーターの立ち位置

プログラム中、どこに立ちますか?

 

”.ファシリテーターの言動には必ず意図を持つ”ということを、これまでたくさんのファシリテーシターから学んできました。

 

例えば、ワークショップの一番最初。アクティビティを使ったワークショップではお馴染み、輪になって始める場面。

 

輪になる前から参加者の情報をキャッチし、雰囲気を持っていそうな人の隣に立つ、ということをしたりします。

(アクティビティのデモンストレーションのお手伝いをお願いするために。その人の雰囲気や言動で場が和んだり、笑いが起きたりします。ファシリテーター一人が頑張るのではなく、参加者と一緒に場をつくる、というメッセージにもなります)

 
また、グループが真剣に課題解決に取り組んでいる時。

その時はそっと見守れるよう、少し距離を置き、離れた場所に立ったりします。

 

あくまでも一例ですが、プログラムを進めていくうえで、ファシリテーターが「どこに立つか」一つで様々な影響が出ます。

 

どんなプログラムのどんな場面でどこに立ちますか?

 

その姿、見られています。

ファシリテーターとして(人前に立つ何かしらの場合すべてに当てはまること)人前に立つ時、その言動には神経を使います。

 

自分の思考や言葉遣いのクセはなかなか抜けないもの。

特に、無意識的にしてしまうノンバーバルコミュニケーションは、言葉によるコミュニケーション以上に影響を与えることが心理学上常識です。

 

・自分の立ち位置

・参加者との距離の取り方

・身体の姿勢

・表情

・アイコンタクト

・身振り手振り

などなど、チェックしたい項目は多岐に渡ります。

 

そして、圧倒的に参加者にはそのクセを見抜かれてしまっているということも、認識しておかなければなりません。

 

テクニックではないので、これらを鍛えるにはプログラム中だけ意識するのではなく、普段から気を配ることが大事です。

また、忌憚のないフィードバックをくれる他者の存在も、自分の気づかない部分に光を当ててくれます。

 

見られる場を体験することでしか自身の成長はないのですが、ヒリヒリ痛い体験もたまにはあります。

躊躇する人も多いですが、そこはエラーオッケーの環境の中で、相互に学び合えるような環境の設定をファシリテーターとしてつくっていきたいと常々考えています。

 

 

レジリエンススキル「強み」

レジリエンススキル、今日のテーマは「強み」。

 

 震災のあった2011年秋に、最初の心のケアに関する研修会に参加しました。その時に外国のトレーナーから問われたことが今も心に残っています。


 「あまりにも多くのものを失ってしまったが、それでも残されているもの(強み)は何ですか?」と。


 切られた木と、残った切り株を比喩に話してくれたことを覚えています。


 その時点では心の整理がついておらず、自分の中にすっと入ることはありませんでした。


 が、「震災後の被災地の復興」を様々な場で見てきた今、強みが回復に役立つ実感が確かにあり、その言葉の意味に納得しています。


 立ち直るきっかけは

「もともと自分たちの中にあるもの」

「いつもやっていること、やっていたこと」「自分の得意なこと、好きなこと」

の中にあるということを。
 
大きな災害が起き、自分自身について見つめ直す機会を与えられた際に、指針を与えてくれたのが自分自身の「強み」だったのだと思います。

「自分自身を知ること」
「好きなこと・得意なことで無理なく貢献していくこと」
 
 「強み」は、継続性のある支援活動にもつながる、大事なキーワードのような気がしています。

レジリエンススキル「癒しあう関係」

レジリエンススキル、今日のテーマは「癒し合う関係」。

 

「支援に来た私たちのほうが元気をもらいました。」

被災地ボランティアに来た方々が口々に言っていた言葉です。
若干のニュアンスの違いはあれど、多くの方々が同じような言葉を発していたように思います。


 誰かのために何かをすることが自分のケアにもつながる。

癒すつもりが癒されている。

そんな関係が確かに存在していたように思います。

 

 災害が起きいったん支援を受ける側に身を置いてしまうと、「自分には何もできない」「お返しできず支援を受けるばかりで申し訳ない」という心境になってしまう方がいたと思います。


 ただ、上記のように実は被災した本人にはその自覚がなくても、支援者に対して与えていたものがあったのではないかと思うのです。

 

 被災地では被災前の生活に比べ、日常がある有難さ、人の優しさ、たくましさをより感じる場所となり、そのことが訪れる人たちの心を動かしたのではないかと思います。
もちろんその中には、ひたむきにその場所で生きる人たちの姿がありました。

 

何かをしてもらうことに対して、特別な何かで恩返しをしなくていい、今そこで生活しているだけで十分いろいろなものを与えている。

 もしそう思えたら、被災した人たちの気持ちも少し楽になるような気がします。

 

支援者に関わらず、被災者であっても自身のケアのために自分のできる範囲で構わないので誰かのために何かをする。

そのことが自身の癒しのために大切なことであると思います。

レジリエンススキル「今ここ」

レジリエンススキル〜今ここ〜」

 震災からまもなく6年。

こころの回復について自分の体験したこと、感じたこと、考えていることを投稿します。

(以前facebookで投稿したもの)


 災害時に限らず、逆境に立たされた時に、こころをどう回復させていくかの一つの事例となれば幸いです。

 

 震災後、失った過去(物・人・故郷・思い出)に思いを巡らせる日々が続きました。
 それと同時に、「この先どうなってしまうのだろう」という未来への暗然とした不安が心を覆っていました。
 気持ちが過去と未来の間を行き来し、ただただ不安な毎日を過ごしていたのを覚えています。
 人と話をすると、ついつい言葉に出てくるのはその不安感。話をすること自体はケアのために必要なことですが、繰り返しになるとそれはそれでお互いにとってしんどい時もありました。

 

 ある仮設住宅の集会所での話しです。

 その仮設集会所でも、大変な喪失感を持った方々が自分の思いを友人やボランティアの方々に打ち明ける光景が見られました。
 そうした状況の中で、ある取組みが始められました。主にお母さん方でしたが、震災によって使えなくなった漁網を使って、ミサンガを作り始めたのです。
 作業に集中している間は、震災の話も、先の見えない未来への不安もほんの一時忘れる時間になったといいます。
 また、「ここ、なじょすんの?」「こうすんだっちゃ!」など、作業をしているからこそ生まれる何気ない会話に笑い声が生まれたり、人との関係が生まれたりすることもありました。
 

 災害があってから大切なのは、できるだけ早く非常事態・非日常生活から日常生活へシフトチェンジすること。


 そのための一つの方法は、日常的に夢中になっているもの、好きなことに没頭すること(今ここを感じる)ではないかと思います。

それは何も特別なものではなくていいと思います。(読書、ジョギング、手芸、料理etc・・・)

 

 日常的にしているもの・好きなことをして、「今ここ」に没頭すること。
見方を変えると、それ自体が自分の心を回復へ向かわせるレジリエンススキルとなっている、そう感じています。