ついこの間、学校で「なかよし広場」がありました。
上級生がその時間に何をやるかを考え、下級生と遊ぶ児童会の活動です。
選ばれた活動は、爆弾ゲーム。
基本ルールは以下の通り。
①円座で座る
②音楽に合わせてボールを回す
③音楽が止まった時にボールを持っていた人がアウト!
で、3回アウトになった人はみんなの前に出て罰ゲームをするというルールでした。
当然、罰ゲームはやりたくない人が多いので、前に出ても、なかなかやろうとしませんでした。
それを一部の人が煽り始め、微妙な雰囲気になり、やらざるをえない、盛り上がらざるを得ないような、なんともな環境になっていました。
児童会の活動なので、そこでは口出しはせず、後から罰ゲームを受けた人達のフォローをしたのですが...。
楽しさって何だろう?と考えた出来事でした。
そしてこの流れ、昭和から変わっていない!笑
ともすると、こうしたレクは、提供する側の配慮が足りず、誰しもが居心地よくいられない環境を容易につくってしまいます。
その要因はいくつかあると思いますが、例えば、
○ルールが勝ち負けに支配されている
○罰ゲームがある
○一度負けると復活はなく後は傍観者
などがあるでしょうか。
そこにいる誰しもが安心安全に参加し、誰にでもチャンスが生まれたり、参加度が下がらない(例えば、じゃんけん列車はそのままのルールでやると、一度負けたら最後、後はじゃんけんの機会がなくなります。それでつまらなくなってしまい、走り出して列車を切り離すことに楽しさを見出したりしているのをよく見ます。そしてそれを注意される残念な結果に...)ような設定の工夫を考える必要があるし、それを子どもが体験することが大事です。基本、体験したものしか提供できないと私は思っています。
自分が体験していないものを提供する怖さがありますから。
これからの時期、お楽しみ会などを企画・実施すると思いますが、最後の思い出が楽しい思い出で終われるよう、お節介ですが思ったことを久しぶりに書いてみました。