「危ないよ」という言葉掛け

 子どもと色々な公園にいきます。

遊んでいると、職業柄?親と子どもの関わりが気になってしまいます。


特によく聞くキーワードが「危ないよ」。


子どもは進んで危ない(と大人が思ってしまうような)遊びをしちゃうもんですが、「危ないよ」と言って、親が先回りして行動を制限している場面をよく目にします。

 

長期的に見たらその声がけをしてしまうことで、危ないを知らないもっと危ない状況になるかも。


大人は、見守りと最低限のサポートに徹し、子供が自由に伸び伸びと遊ぶ姿が見たいなあ、と思います。

(危ないよ、とだけ言って、スマホ画面に夢中になり、見守り・サポートが...という状態も目にします)


前回の投稿で楽しさとは?について投稿しましたが、楽しさは未知に対するリスクテイクだな、と思います。


出来るかどうか分からない、次に何が起こるか予想できないなことに対する楽しさだったりするのかなと。


大人の判断でそうした場面、チャンスを摘み取らないようにしたいなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

楽しさって?

ついこの間、学校で「なかよし広場」がありました。

上級生がその時間に何をやるかを考え、下級生と遊ぶ児童会の活動です。


選ばれた活動は、爆弾ゲーム。

基本ルールは以下の通り。

①円座で座る

②音楽に合わせてボールを回す

③音楽が止まった時にボールを持っていた人がアウト!


で、3回アウトになった人はみんなの前に出て罰ゲームをするというルールでした。


当然、罰ゲームはやりたくない人が多いので、前に出ても、なかなかやろうとしませんでした。

それを一部の人が煽り始め、微妙な雰囲気になり、やらざるをえない、盛り上がらざるを得ないような、なんともな環境になっていました。

 


児童会の活動なので、そこでは口出しはせず、後から罰ゲームを受けた人達のフォローをしたのですが...。

 


楽しさって何だろう?と考えた出来事でした。

 


そしてこの流れ、昭和から変わっていない!笑


ともすると、こうしたレクは、提供する側の配慮が足りず、誰しもが居心地よくいられない環境を容易につくってしまいます。

 


その要因はいくつかあると思いますが、例えば、

○ルールが勝ち負けに支配されている

○罰ゲームがある

○一度負けると復活はなく後は傍観者

などがあるでしょうか。

 


そこにいる誰しもが安心安全に参加し、誰にでもチャンスが生まれたり、参加度が下がらない(例えば、じゃんけん列車はそのままのルールでやると、一度負けたら最後、後はじゃんけんの機会がなくなります。それでつまらなくなってしまい、走り出して列車を切り離すことに楽しさを見出したりしているのをよく見ます。そしてそれを注意される残念な結果に...)ような設定の工夫を考える必要があるし、それを子どもが体験することが大事です。基本、体験したものしか提供できないと私は思っています。

自分が体験していないものを提供する怖さがありますから。

 

これからの時期、お楽しみ会などを企画・実施すると思いますが、最後の思い出が楽しい思い出で終われるよう、お節介ですが思ったことを久しぶりに書いてみました。

 

 

 

ファシリテーターはアコーディオン。

ファシリテーターとは。どんなイメージ?

 

中立性、受容的などが一般的なイメージでしょうか。

 

しかし、ある時はカウンセラー、ある時はメンター、ある時はティーチャーなど、幅広い役割をその時の状況や目的に合わせていきつ戻りつつするのがファシリテーターの意味だと学びました。

 

楽器のアコーディオンのように。

 

ファシリテーターだから、ではなく普段から対象者の目的や状況に合わせて行きつ戻りつつを繰り返す自分でありたいな、と思います。

#ファシリテーター

 

 

 

 

 

みる

みる→看る、視る、見る、観る、診る、瞰る

 

アクティビティを使ったWSを進めるファシリテーター(だけじゃないですよね、きっと)に大切なものは何より「みる」ことだと学んできました。

 

では、アクティビティを通してみたいものとは?

(一例)

◯エラーに対する反応をみたい

・エラーに寛容か、過剰な反応はあるか。気軽に笑い合える雰囲気はあるかなど。

・積み重なったものからの否定的な反応もあるので、それを踏まえたうえで、どうそれをブレイク(リフレーミング)していくか。

※アクティビティを使うのは、エラーが起きやすい環境を意図的につくりやすいから。

 

◯関係性やコミュニケーションをみたい

→誰が誰にかかわろうとしているか。(その逆も)

コミュニケーションスタイルは。情報の開示(量や深さなど)は。

 

あえてアクティビティを使う理由は上記にあげたようなことが起こりやすい、見えやすいから。

 

ただ漠然と「みる」ではなく、いくつかの視点を持ってアクティビティ中のグループの様子を観察し、「では、次何したらいいかな?」につなげていきます。

#ファシリテーション

#ファシリテーター

 

アクティビティにFRESHさを!

久しぶりの投稿。

 

昔(約20年前くらい?)に比べて、様々なところでアクティビティ体験ができる時代になりました。

 

子ども相手に定番アクティビティをやると、「やったことあるー!」の声があがることも。

 

楽しいアクティビティは何度やっても楽しいですが、目新しさを求め、ネタ仕入れに走りたくもなります。

 

でもでも。新しさは追い求めたらキリがない。

大事なのはNEWではなく、FRESHであること。 

 

例えば、アクティビティ※「カウントアップ」。

※1から順に被らず出来るだけ大きい数字を言っていくアクティビティ。

 

・被らない

・出来るだけ大きい

の構造を利用すると、今の時期だと干支バージョンなどでもできます。前には駅名でやったりも。

 

楽しさを生むアクティビティの構造を理解すれば、応用し様々なアクティビティが生み出せます。

 

肝心なのは、新しさではなく新鮮さ。

生み出す楽しさも同時に得られます。

 

#ワークショップ

#ファシリテーション

#アクティビティ

 

 

 

 

 

"慣れ"の怖さ

ファシリテーターとして場数を踏み慣れてくると...。 

 

プログラム本来のねらいから若干逸れたり、ニーズに応えきれなくてもなんとかその場が成立することがあります。参加者も一定の満足感を得て。

 

楽しかった、いい体験だった。 

 

で?その先に何がある?

 

体験が持つインパクトの強さを出しつつも、それに依存しすぎないよう理論と実践、思考と行動をバランスよくいったりきたりするプログラムづくりをしたいなあと考えています。

 

春4月にプログラムデザイン、アクティビティデザインについて考えるワークショップを開催します。

 

場所は人里離れた(笑)花山青少年自然の家で。じっくりと宿泊合宿形式で行います。

 

興味を持たれた方は下記にアクセスしてみてください。

https://www.facebook.com/events/1544862442300708/?ti=icl

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Functional Understanding is Not Neccessary

アクティビティはGAMEというよりはPLAY。

 

アクティビティは最低限のルールが存在するだけで、それ以外は参加者の自由度が保障されているのが特徴です。

 

アクティビティを実施するファシリテーターに大事なのは、”遊びゴコロ”。

アクティビティの数はおよそ300とも言われていますが(ネタに走っていた若かりし頃...)、マイフェイバリットが数十種類あれば事足りることも多いです。

"遊びゴコロ"を生かし、同じアクティビティでも様々アレンジをきかせることで、幅が広がるからです。

 

ファシリテーターは自由な発想で、その場にフィットしたデザインをし、楽しくかつ学びのある場を作ります。

なんのために?を常に頭に入れつつ、理屈なしに楽しい!も追求しながら。